モーニングコーヒー

以前、初めて訪れた街でのこと。

深夜のライブを終え、スタッフやDJと朝まで飲んだ翌日(当日?)、ホテルのベッドで目を覚ました。
「ゆうべもよく飲んだな…オレいまどこにいるんだっけ…?」と酔いの残る頭で考えつつ時計を見ると九時を少し回ったところ。
「そういえば九時半までコーヒー無料サービスってどこかに書いてあったなア」と思い出すうちにたまらなくコーヒーを飲みたくなってきた。酔いざめに熱くて苦いコーヒー。
慌てて顔を洗って着替え、ロビーまで降りて行った。しかしコーヒーサーバーがあったとおぼしき辺りをを見回してもなにもナイ。早めに下げられてしまったのかな?でも、どうしてもひと口飲みたい。そこで思いきってクロークのおばさんに声をかけた。
「あのう、コーヒーを一杯頂きたいんですが…」と言うとおばさん、小さく頷くと目で「そこで待ってらっしゃい」と言うように喫茶コーナーの奥へと消えた。

紙コップにコーヒーを注いでくれながらおばさんは「音楽のお仕事ですか?」とニッコリ笑ってウクレレを弾く手真似をする。おばさん、年の頃なら五十代半ばというところか、目のクリっとした愛嬌のある顔立ち。深夜に楽器を持ってロビーをウロウロする僕を見てたんだろう。僕は音楽をやっていること、東京からきたこと、近所のクラブで昨夜ライブをしたことなどを話した。

すると僕のような客が珍しいのか親はどこにいるのか、兄弟は、などと好奇心を隠そうともしない。そして何故結婚しないのか、子供はいないのか(いません、もちろん)、と続けざまに聞いてくるのでさすがにちょっとうんざりしてきた。僕はチェックアウトまでのわずかな時間、コーヒーを飲んでボンヤリしたかっただけなのに。

おばさんの言葉をさえぎるように僕は言った「僕はね、好きなことだけをして暮らしてるし、それで独り野垂れ死んでもいいんです」
そしたらおばさんの顔色が変わった。「なに言うのっ!ニンゲンそう簡単に死ねるモンじゃないのっ!」と言いながら目にはうっすら涙さえ浮かんできた。

僕はおばさんの剣幕に気押されながらも自らの不明を恥じた。そうだよね、ニンゲンそう簡単に死ねるモンじゃない。ナマ言って悪かった。自分独りで生きてるなんて思っちゃいけないよ。みんな誰かに生かされてるんだから。しかしヒマだね、このホテル…

それからおばさんは「結婚の味」というものは最低でも三十年(!!)は添わなければ分からないということ、家庭がいかに素晴らしいものであるかをジュンジュンと僕に諭すのだった。…ありがとうおばさん、コーヒーもう一杯。