キヨシローの君が代

敬愛する作家、山口瞳曰く「故人をほめたたえるだけでは故人を語ったことにならない」。そのひそみにならって僕なりのキヨシローの追悼、追善を試みようと思う。


小学生の時、RCサクセションのライブ盤「ラプソディ」を聴いて以来、長い間「キヨシロー原理主義者」として過ごしてきた。「キヨシロー原理主義者」とは、いついかなる時もボス(古いファンはこう呼ぶ)は唯一無二、空前絶後にして至高の存在であり、常にサイコーにカッコEEEEE!!!!!のであるから何人たりとも御意見無用、とする者の事である。


その後レゲエやロックステディに夢中になり、ひょんな事からCDデビューと相成った後も僕の「主義」が揺らぐ事は無かった。


ボスが新しいアルバムで歌った「君が代」が発売元のレコード会社で問題視され発売中止となり、インディーズで出し直すらしい、と聞いたのはいつの事だったろうか。ちょうど「国家国旗法案」が論議を呼んでいた頃だと思う。この件に関してボスの「君が代の歌詞を英訳すれば、海外ではラブソングだと思われるかもしれない。Your world is forever…とかなんとか」という発言を知った時は「さすがボス!右とか、左とか、そんな下らないモンは軽く飛び越えてるんだ!」と思ったが…


その後ライブで件(くだん)の「君が代」を聴いた時「やはり…そうか…」と落胆を禁じ得なかった。


まず第一に「君が代」を8ビートのロックに翻案するなら「きーみーがーあーよーおーはー」的アレンジ(ここまでで8小節)が自然であり、8小節に「君が代は、千代に八千代に」では音節を詰め込み過ぎで「君が代」に聞こえにくい。


それより何より、歌い方やステージパフォーマンス(「苔の蒸すまで」の下りで「むーすまで!」と繰り返し絶叫しつつ整髪料の「ムース」を取り出し自らの頭をグショグショにする。何もそこまで…)により、その意図するところが余りにも分かり易すぎ、要するに「国旗、国歌、天皇なんて大嫌いだ!ふざけんな!」といったコトなんだろう。ハッキリ言ってそこには「意見」だけがあり、「歌」や「音楽」はなかった。「上を向いて歩こう」をメタメタに切り刻んで歌った時の突き抜けたユーモアや爽快感もなかった。


僕は「君が代」にはレゲエが合うと思う。ピアニカのインストで、A.パブロみたいなファー・イースト・サウンド!いつかやってみたい。セルジュ・ゲーンズブールはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエにアレンジ(演奏はスライ&ロビー!)した際、右翼団体から脅迫を受けた。その時「革命の歌を革命的なリズムに乗せただけだ」と弁明したそうな。


キヨシローがあの声で、アカペラで、まるで小学生みたいに「君が代」を歌えば、その方がより過激で革命的になったと思うんだけどな。