トーフ屋のおぢさん

ocha-uke2006-06-08

久しぶりに気持ちよく晴れた日の夕方、遠くで「プー」とチャルメラの音が聴こえたから僕は読んでいた本を閉じて小鍋をつかみ、スニーカーをつっかけて外へ飛び出した。急がないとおぢさんを見失ってしまう。

あ、いたいた!

「コンチワァ」
「おーう、いっつもワルイねぇどーも」
「木綿を一丁とアブラゲ一枚、それとそのおからも下さい」
「エライねぇー、最近のヒトはオンナだっておからなんか料理しないよォ」

おぢさんは喋りながらもてきぱきと手を動かし、いかにもガッシリした自転車の荷台にくくりつけた木箱からトーフを出して鍋に入れてくれる。
ビニール袋にアゲは二枚入れてくれる。一枚はサービスだ。いつものこととは言え、サービスったってこれじゃ二倍だよ。
自転車の前のカゴには納豆やたくわん、おからなんかが入ってる。この相当に重そうな自転車を漕ぎ、チャルメラを吹きながらおぢさんはやってくる。

僕がいま住んでる古びたマンションに越してきて二年足らず。おぢさんとの再会には驚いた。
前のアパートからそう遠くないにせよ、線路をまたいでるし市境だって越えてる。おぢさんの店があるのは立川だから、なんと立川、国立、国分寺の三市をこの自転車で!カバーしてるんだ。

おぢさんは実際にはおぢいさんと呼んだ方が良く、齢八十に手が届こうというところか。しかし「トーフ屋のおぢいさん」じゃ言いにくいやね。
おぢさんはとてもイイ顔をしてる。面長で、歌舞伎役者か噺家にありそうな。

おぢさんのトーフはちゃあんと豆の味がして、本当に美味しい。そして大きい。小食な僕はこれだけでお腹がイッパイになってしまう。
アゲ(このアゲがまたデカイ!)はふわふわし過ぎてなくて、やっぱり豆の味が濃い。こいつをカリッとあぶってショーユをじゅっと垂らすと最高だ。「サービスの一枚」は冷凍しておいて煮物や味噌汁に使う。もう大量生産品は買う気がしない。

「若いヒトは可哀想だ。いまの世の中、オンナが威張ってるからね。オレァこんな商売してるけど家では一切台所なんか立たない。みいんな女房にやらせる。」
「へえー」っておぢさん、さっきおからを買った僕を誉めてくれたばっかりなのに。

おぢさんは話好きだ。どうかすると僕はナベを持ったまま延々相づちを打つ羽目になる。

お年寄りは「お話」の詰まった箱だ。ひとたび開ければぽろぽろと話がこぼれ落ちてくる。
ウチのおばあちゃんもそうだもんな。女学生の頃、歌が上手で、全校を代表してラジオで歌った話。お金持ちしかラジオを持ってなかった時代、いかにそれが名誉だったか。
「行く先々でみんながセツさーん、セツさーん(祖母の名)と呼んで手を振ったんだよ」っておばあちゃん、それちょっと作ってない?
古い写真の中のおばあちゃんは女優のようなべっぴんさんだけど。
なんにせよ、開けられる機会の無い箱は不幸だ。

おぢさん名語録。
「若いヒトはオレたちみたいに長生きできないヨォ。栄養摂りすぎてるから。植木だって水やりすぎたら枯れっちまうからネ!」
おぢさん、どーかいつまでもお元気で。

おからは、最初によくから炒りして水分を飛ばしておくのがコツ。じゃないと味入れてる最中にどんどん膨らんじまうからネ!