音楽と政治
僕は音楽家。少なくとも自分ではそう思っている。なので、例えばチベット問題について歌で表現すべきなんじゃないか。そんな風に思ったり、実際に人から言われることもある。しかし正直なところ、チベット問題について、或はウイグル、ダルフールの問題について歌にしたいと思わない。
誤解を恐れずに言えば、歌は面白くなくてはいけない。社説のような歌をだれが聴きたいだろうか。深刻なテーマであればあるほど、それを笑いのめすユーモアがなくては、救いのないもの、誰にも届かないものになってしまう。
♪知らない間に 実験で
知らない間にモルモット
知らない間にピカドンで
知らない間に水爆病
これは呆れた驚いた
何がなんだか判らない
これが平和というものか
あちら任せの平和論
上にあげたのは三木鶏郎作詞作曲「これが自由というものか」の一節。(現在「エノケン ミーツ トリロー」というCDを発売中。買うべし!)これは1954年、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により日本の漁船、第五福竜丸の船員が被爆した事件に題を取った作品。凄いでしょ?このテーマで、歌はエノケンらしい呑気な書生節。誤解を恐れずに言えば、オモロすぎ!
僕は、歌として最高なのはラブソングだと思う。これ以上のテーマは無い。いわゆる「スタンダード」と言われる曲はほとんどが他愛のないラブソングだ。ルイ・アームストロングや、ナット・キング・コール、オーティス・レディングといった人たちは誰かを攻撃したり、皮肉ったり、あげつらったりするような歌は歌わなかった。そのことで一時期、責められもしたが、コールは「僕は議論に向いてない。音楽で人を喜ばせることに興味がある」と言ったそうな。しかし、しかし…
このテーマはなかなか語り尽くせないので、また気が向いたら書きます。東京ではハナミズキが満開です。